新潟県中越地震2

朝、母からの電話で起こされる。水と食料を持って十日町に向かうとのこと。母の行動力にはいつも驚かされる。十日町で避難している祖父や叔父よりも、これから向かう母の方が二次災害に遭わないか心配だったけれど、止めてもムダなので、とにかく気をつけてと言い電話を切った。


夕方、母に電話をするが、呼び出し音は鳴るものの、出る気配がない。そのうち、電波すら届かなくなったので、ダメ元で十日町の祖父宅に電話をしたら、母が出た^^;。連絡してっていったでしょう!と説教をした後、状況を聞く。祖父宅は十日町市といっても街中ではなく、かなり山沿いの集落にある。昨夜からテレビで、がけ崩れによって孤立していると報道されていた二ツ屋地区の傍なので、すごく心配していたのだが、母いわく、テレビで報道されている地域と比べると、被害状況は少ないとのこと。それでも、玄関のガラスが割れ、風呂場はいくつも亀裂が入ってタイルが崩れ落ち、割れた食器は数えられないくらいだそうで、今必死に片づけをしていると言っていた。


夜、珍しい友人から1年ぶりに電話が入る。彼は、シリア人である私の叔母が、東京で演劇の公演を行ったときに手伝ってくれた、古くからの友人。そのときに知り合った仲間の1人は新潟県南魚沼郡の実家に戻って、自分の窯を作り、ガラス工芸品を製作している(彼女の作品が買えるアートセレクトショップ [to a T]はコチラ)。彼には、彼女ともまだ連絡が取れないこと、彼女の実家は十日町よりも震源から遠いことを伝え、お互いの近況報告をした。あの頃は月1度はみんなで集まって飲んでたっけ。近いうちにみんなで会いたいね、といって電話を切ったけれど、次に会えるのはきっと数年後だろうなぁ。


<追記>この日記を書いている最中、昨日の日記に書いた小千谷の友人からメールが来た。長岡の友人の家にいるときに被災したので、そのまま家に帰らずダンナさんの実家である三条に子どもと一緒に避難しているとのこと。とりあえず一安心。


<追記2>その後、ガラス工芸品を製作している友人からもメールがきた。揺れは大きかったが、ケガはないとのこと。最初の地震から本日の朝9時まで停電していたので、その後テレビをつけて初めて、こんな大きな地震だったのかとビックリしたと書いてあった。