学位をとるということ

今日も今日とて某大学院のDr.ゼミに参加。
うだるような暑さの中、電車に揺られること1時間半、
大学につく頃にはすでにヘロヘロに。


本日の発表者は、すでに研究者として就職されている社会人院生でD3の方。博論の章立てと1章にあたる緒論の発表だった。
各章はすでにあちこちの学会で査読論文やショートレターとして通っているものなので、個々の論レベルでの問題はないのだが、学位論文はそれぞれの論をどう辻褄を合わせ、説得力のある1つの論にしていくか、ということが課題になる。
発表者の方は、各章での実験がどのような仮説の元に行われているのかということについて、実験時の論から抜け切れておらず、全体から見てそれがどう位置づくのかについて、先生から激しいツッコミを受けていた。


やっぱり学位をとるってことは、個別の論を構築できるのはもちろんのこと、それまでの論文を、どれだけロジカルで隙のない大きな論として構築できるか、ってことなんだよね。
修論を書くときにイヤというほど思い知ったのだけど、
今の私に足りない能力の1つはコレであることは確か。
でも、これを修行するには、書いて書いて書くしかないのだ。
まずは夏締め切りの某学会に投稿できるよう、修論をまとめなおすことから始めよう。そうしよう。